ちびうさず

私の大切な犬 #3

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わかれ
 私は悩んだ。
 このままでは 大きなお腹をかかえて 犬と一緒に路頭に迷うだろう。
 犬ごと実家に転がり込む事は、親と私の関係上、持ち出しても冷笑とともに却下される話だった。
 そして犬を貰ってもらう事を決断した。

 その日のことは あまり覚えていない。
 犬が好きだったおもちゃを1つ持っていったと思う。水色の丸いものだ。
 親戚の家に着いて、何か話しただろうか?
 犬をお願いしますと、ちゃんと言っただろうか?

 玄関にでたとき、犬は私を追わなかったと思う。
 私の犬は私がそれきり戻ってこないなどと、思ってもいなかっただろう。
 どうやってその家を後にしたんただろうか?

 なんであれ 私は犬を親戚の家に捨てたのだ。
 あんなに素直で良い犬を、私は捨てた。
ノイローゼ
 ただただ、自分が憎かった。
 つれあいも憎かった。
 私の犬を失わせたのはつれあいだと思った。
 何でも自分の思い通りにしてきたあなたは、今度は私から犬までも奪ったのか。

 そして大家に、犬が去ったことを報告しに行った。
 そのとき、大家は言った。
「赤ちゃんができるんだから、ちょうど良かったわよ」

何が。
何が「ちょうど良かった」というのだ。
あなたは私に今、
犬がいなくなってちょうど良かったと言ったのか。

 その言葉が許せなかった。
 そして目の前が急に暗くなった。
 私の心の中は絶叫で溢れていたが、どうにか口をつぐんだままその場を立ち去った。

 その代わり、悲しみではちきれそうだった私の心は、 真っ黒な憎しみでいっぱいになった。

 自分を含め犬を失う原因になったあらゆる人へ。
皆、消えてなくなれと。

 私はそれからすぐ 犬のぬいぐるみを1つ作った。はさみでじょきじょきと切って 型紙もなかったが、それはあきれるほど 私の犬に似ていた。
ブービー
 もう、人の犬になったのだから「ブービー」と名前で呼ばねばならないのだろうか。
 ブービーは残りの生涯を、貰ってくれた親戚のご家族に可愛がられて過ごしたそうだ。
 私は一度も会いに行かなかったと思う。
 手放してからのブービーに関する記憶は、何か聞いたはずだが、殆ど覚えて無い。
 頭が拒否していたのかもしれないし、今もあまり聞きたくはない。
 世話になった親戚には申し訳ないが、どうか許してほしい。 あの一件は、私にとって悪夢でしかなかったのだ。

 犬のぬいぐるみは、それから長く家にあった。
 子供が少し大きくなったころのこと。子供が飾ってあった犬のぬいぐるみを持ち出してきて
「これブービーっていうんでしょ」
 と言ったとき、私は瞬時に絶叫してしまった。
「ブービーなんて言うな!この犬はあんたに何の関係もない!触るな!」

 突然に爆発するような感情で、私はそれを止めることができなかった。
 すっかり忘れていると思った憎しみの感情は、まだ私の底に澱み続けていた。

 すぐに、本当に「何の罪もない」子供に怒鳴ってしまった事をすまなく思い、 そのあとゆっくり説明してから、子供がぬいぐるみを触るのを許可した。

 それから彼がブービーの名前を口にするたび、同じ感情がじわりと湧いては来たが、それは心を少し暗くするだけにとどまり、爆発することはもう無かった。
時は流れて
 私はブービーの事があってから、何もしようとしなかった当時のつれあいに強い不信を抱き、それは年月を重ねるほどに確たるものとなった。
 その後ついに悲願の離婚を果たした。

私の犬。
今はもういない、大切な 私の犬。

いつか私の命が終わる時、お前に会いに行こう。
私は今もお前が大好きだ。

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